「なぜ人は、死を感じに行く?」

知識・解説

ジェットコースターって、

“死”の練習じゃない?

落ちる瞬間に、叫ぶのは本能だし、

着地した瞬間、笑うのは

「生き延びた快感」みたいなもん。

正直、意味ってないですよね?

なんで、乗りたくなるんだろう…?

気づけば、この世界って

“死をチラつかせてくれる”

コンテンツで溢れてる。

溢れかえってますよね…。

気になったので、調べてみました。


【死を感じる娯楽たち】

世には、

“死”をチラつかせてくる娯楽

山ほどあると思うんですよね。

最近Netflixで、見て

すごく面白かったのが

イカゲーム シーズン3

とても、面白かった。

あれって、ジャンルで言うなら

ホラーではないけれど、

死を彷彿させるシーン

たくさん登場しますよね。

いや、というより

テーマそのものが「デスゲーム」。

つまり“死”を前提にした娯楽なんですよね。

他には、何があるでしょうか。

・ジェットコースター/バンジージャンプ

(スピードと浮遊感)

・ホラー映画(襲われるかも感)

・心霊番組/事故物件/お化け屋敷

(いるかもしれない感/なるかもしれない感)

・ギャンブル(お金=生存のリスク)

やりたくなる、見たくなる。

やらなくてもいい、見なくてもいい。

それなのに、何故か。

何故か、興味そそられる。

なぜなんだろう?

よくわからない。

“コワイモノミタサ”

人間の本能的な部分を

刺激させる謎のスイッチだと思うんです。

謎のスイッチの正体を暴きたい。

その謎のスイッチの正体、

実はちゃんと“仮説”があるんです。

人はなぜ、死を感じたいのか――

掘り下げてみましょうか。


【なぜ人は死を感じたいのか】

現代って、あまりにも

安全で快適だから、

「生きてる実感」って、

なかなか湧きづらい。

逆に、“死”の気配がなさすぎるんです。

(国、地域にもよりますが)

誕生日が来たとき、

あなたは心の底から

「嬉しい」って言えますか?

「わーー!、今日で〇〇年、〇〇分、〇〇秒

生きたぜーーー!」

って思いますか?(笑)

単純に、自分の年齢に

ひとつだけ数字が増えたな

くらいに思いません?

年齢を重ねた分だけ、

確実に”死”に近づいている。

自分の寿命なんてわからない。

何歳で”死ぬ”かなんて

自分どころか

他人のことすらわからない。

だからたぶん、誕生日って

「死に一歩近づいた日」

でもあるのに、

僕らは“ただの数字が増えた日”

って、処理してるんじゃないかな

と、思うんです。

“生きてる実感”は、  

案外、「死の匂い」がないと  

手に入らないのかもしれません。

だからこそ、僕たちは  

“安全な世界の中で”  

唯一 “生きてる実感”を味わえるスイッチ──  

つまり、「死をチラつかせてくる娯楽」  

に、惹きつけられて

しまうのかもしれませんね。

でも、そもそもどうして人間は、

“死”に惹かれたり、

それを怖がったり、

娯楽にまで昇華したりするんでしょうか?

おっと、少し、小難しい話に

なってきましたが。

…ちょっとだけ、  

脳や進化の話に足を踏み入れてみます。

ただ、きっとこの先に、  

“生きてる実感”のヒントがあると思うんです。

次の章で、触れてみます。

さらっと、でも良いのでよければぜひーー


【人間は“死”を想像できる唯一の動物だった!?】

1. 人間だけが「死を意識」できる理由

実はこの「死を想像する力」は、

**前頭前野(PFC)**と呼ばれる部分。

この脳の領域は、

未来をシミュレーションする能力

を持っていて、

ー自分がいつか死ぬーという、

抽象的で不確かな未来を想像できる。

他の動物は「危険」は察知できても、

「自分の死」そのものを想像して

不安になることはないようです。

人間だけが、唯一、

“未来の自分の葬式”

を想像できる生き物なんだそうです。

だからこそ、人間という動物は、

不安になったり、鬱になってしまう。

毒にも薬にもなるような、  

ハイスペックすぎる能力なんですよね…。


参考研究:Suddendorf & Corballis(2007)

など


2. 昔の人間は「死」といつも隣り合わせだった

現代とは違って、

昔の人たちは“リアルに死と隣り合わせ”

だったようです。

飢え、戦争、病気、事故

江戸時代では、

子供の死亡率めちゃくちゃ

高かったようで。

0歳児(1歳未満)の死亡率約20〜30%

7歳までの死亡率約50%前後

当時、江戸時代の人たちは、

亡くなる子どもが多かったから

あえて、情を抑えるために

「名前をつけるのは7歳になってから」

みたいな文化があったようです。

18世紀ヨーロッパの平均寿命は30〜40歳。

「死」が日常にあったからこそ、

**仏教の“諸行無常”や

キリスト教の“メメント・モリ”**

みたいに、“死とどう向き合うか”

が文化にも強く刻まれてたようです。


参考:フィリップ・アリエス『死の歴史』、Ernest Becker『死の拒否』


まとめると…

昔は、死が“身近すぎるリアル”だった。

今は、“安全すぎて実感が薄いファンタジー”。

だからこそ、僕らはわざわざ

「死をちらつかせてくれる娯楽」

に手を伸ばすのかもしれないですね。


“死”をちょっとだけ味わいたい本能

1. 最近、“ちょっと怖い”が流行ってる

ゾンビ映画、ホラーゲーム、都市伝説系YouTube、心霊スポットの検証動画…

これらって、どれも共通して、

“死”の匂いをうっすら漂わせる

コンテンツですよね。

なのに、人はそれを

「面白い」「スリルがある」「やめられない」

ってなって、わざわざ観に行く。

Netflixでもホラー系シリーズは

根強く人気で、

TikTokやYouTubeショートには

“ちょい怖動画”が溢れてる。

──「なぜ?」

って思いません?

2. 心理的に説明できるらしい

実はこれ、心理学である程度

説明できるみたいです。

「刺激欲求(Sensation Seeking)」

人間は**“刺激がほしい”**という

本能を持っているようです。

現代って安全すぎて、

日常で、命の危機に直面することってまずない。

だからこそ 、わざわざ

「スリルを求めてしまう」んです。

それがジェットコースターだったり、

ホラー映画だったり、

少し怖い都市伝説動画だったり、と。

「カタルシス効果」

怖いものや不安なものに触れることで、

**“心の中にある不安を外に出して

スッキリする”**って効果もある。

ホラー映画を観たあとに

「ふ〜怖かった…でもなんかスッとした」

ってなるのは、

これが理由のひとつ。

ちょっと怖い → 感情が揺れる → 心が整う

みたいな、感情のデトックスみたいな感じ。

これって、心のサウナ

みたいな感じですよね。

3. 社会背景:「リアルな死」は遠ざけられている

昔に比べて、僕たちの生活の中で

“本物の死”を見る機会って、

ものすごく減ってきています。

でも、それってすごく

幸せなことだと思います。

身近な大切な人が、

周りの人が、

自分自身が、

あるいはまったく知らないだれかが、

本物の死を見ることから

遠ざかること。

綺麗事のようなのかもしれないけれど、

生物的に遠ざかるような考え方

なのかもしれないけれど、

できれば、本当の死なんかに

近づきたくない。

近づいてほしくなんかない。

そう思いますよね。

それって、自然な事だと思うんです。

それでも、いくらリアルな死を

目にすることから

遠ざかっても

誰もがいつか死を迎える。

その上で、

・家で人が亡くなることは少なくなった

・メディアでも、過激な死や事故は規制される

・「死を語る」こと自体が、タブーっぽくなる

つまり、死を間近に感じる機会

がなくなってきた。

でも、前の章でも話したとおり、

人間は「死を想像できる唯一の生き物」

だから、どこかでそれを確認したくなる。

でも、リアルな死には触れたくない。

その矛盾した欲望のスキマ

を埋めてくれるのが──

“フェイクな死”

ジェットコースターも、ゾンビ映画も、

心霊スポット動画も、全部“安全な死の体験”

あくまで安全圏で、スリルと恐怖を

“ちょっとだけ”味わえるものなんです。

そう考えると、これらたち全て

大事な役割を担っているのかも

しれないですね。


まとめ:「死に惹かれるのは、異常じゃない」

“死”ってタブーなようで、

実は人間の奥深くに眠る、

本能レベルのテーマなのかもしれません。

そして僕らは今、

リアルではなく**「ちょっとだけ怖い」**もの

に安心して手を伸ばせる世界に生きてる。

誰かと怖い話をしたくなる夜。

ホラー映画にハマる深夜。

それって、**「生きてる実感」**

取り戻したくなってる

本能的な行為なのかもしれないですね。

何を隠そう、

これだけ長い記事を

ここまで読んで頂いた

あなたが、

そうなのですから。

ではまたっ。

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