扇風機つけたまま寝たら危ない?迷信は先人によるユーモアのようなものだった?

知識・解説

扇風機つけっぱなしで寝たら危ない

そう言われたとこはないですか?

僕も何度も耳にしたことがあります。

でも、正直何回かやってしまったことあります。(笑)

今でこそ、使わなくなりましたが、扇風機の風を浴びながら横になるのってすごく気持ちいいんですよね。だから、気づけば寝落ちしていたなんてことよくありました。

これ、調べてみたら半分事実で、半分嘘みたいです。

体温が下がりすぎる

長時間、風を直接当て続けると、まれに体の熱が奪われやすくなり、軽い低体温状態になることがある。

特に睡眠中は代謝が落ちるから、体温維持が難しくなる。

脱水気味になる

風で汗がどんどん蒸発して、体内の水分が減る。エアコン+扇風機のWパンチで、朝カラッカラになる。

空気の流れが強すぎて呼吸に影響

密室で風が強い場合、理論上空気の循環バランスが崩れることも考えられるが、現代の家ではほとんど起きない。

つまり、多少の危険性はあるものの死ぬレベルではないのです。(それでも多少のリスクがありますが)

では、なぜこんなにも言い伝えられてきたのか?

先人たちによる体調管理ちゃんとしとけよっていう優しさ。強い言葉とユーモアで知らせてくれた感じがするんですよね。

迷信って他にもたくさんありますよね。

見ていくと結構面白いと思うんです。

そこで気になったので、今回は、そんな迷信について深掘りしていきます。


迷信は全て文明が破壊した?

現代まで言い伝えられている迷信たち。

そのほとんどが、文明の発達によって、否定する、破壊されてきたんです。

例えば、最初に述べた扇風機の話。

例え扇風機つけっぱなしでもエアコンとか、寝具で体温調節できますよね。

水道ひねれば、たっぷり水分補給できるので脱水でぶっ倒れるってことないですよね。

いまの住環境で、空気の循環バランスが悪くなり酸素濃度が下がるなんてならないですよね。

死ぬレベルではないんです。

こんな感じで、他の迷信も見てみましょう。


夜に爪を切ると親の死に目に会えない

昔は照明が暗くて、夜に刃物を使うとケガのリスクが高かった。

「怪我するからやめとけ」っていう優しい教訓。

=リスクが物理的に消えた


食後すぐ寝ると牛になる

→ 消化が悪くなるから動け、っていう食育の一環。牛=寝そべってるっていう比喩。

=科学が裏付けを奪った

牛になるの部分はキャッチコピー的な教育装置だった。


雷が鳴ったらへそを隠せ

雷=静電気。金属のボタンやへそピアスが危ないっていう知恵が原型。

=環境が変わって成立しなくなった。

屋内・避雷針・絶縁素材の普及がすべて守ってくれる。


寝てる間に口笛吹くと蛇が来る

夜に音を立てる=泥棒や魔物を呼ぶっていう民間信仰。田舎やと本気で信じられていた。

現代的にいうなら、マンションとかアパートの音のモラル、マナー的な感じですかね。

=共同体の静寂ルールが変化

今や隣人も遠く、防音も進み、他人に迷惑の概念自体が別形態に進化。

マンション、アパートなど集合住宅では現代でも音のモラル、マナーは必要。

こんな感じで、多くの迷信は文明の発達によって否定する説明ができてしまうんですよね。

でも、その迷信には何かしらの意図があって、ある種、僕らへのユーモアな注意喚起みたいなものなんですよね。


現代の文明でも否定ができない迷信!

これまで、多くの迷信をテクノロジーの進化によるもので否定してきました。

しかしながら、否定することができない迷信もいくつか存在します。

夜に新しい靴を下ろすな/靴下を履くな

→ 昔は夜=旅立ちや葬送の時間っていう象徴があって、「夜に新しい靴を履く=夜に旅立つ=死を連想する」っていう連想ルート。

理屈じゃなく、縁起の領域

今でも新しい靴履くときにタイミングを考える人もいる。


抜けた歯を屋根(上の歯)/縁の下(下の歯)に投げる

→ これ日本独特の成長祈願の儀式。

上の歯は上に生えますようにで屋根へ、

下の歯は下に生えますようにで地面へ。

科学で歯の構造は説明できても、願いの儀式はまだ代替されてない。


ご飯に箸を立てるな

→ テクノロジー関係なしに、仏事(供え物)との線引きっていう文化的タブー。

AIでもARでも、これは人の死を想起させる所作として残る。=テクノロジーが進んでも「死の象徴」は形を変えて残る。


黒猫が横切ると不吉

→ 科学的根拠ゼロ。

でも暗闇で見えにくい=不安の象徴っていう心理構造が根底にある。夜の闇がなくなっても、人間の無意識の闇までは照らせない。

これらって、科学的根拠もなければ明確な注意喚起も感じられない。

でも、現代まで言い伝えられている。

なぜなのでしょうか。

それはきっと、不確定要素=不安

心の安定剤としてだれかが生み出したものだと思うんですよね。

科学が否定できる迷信も多い。でも、迷信が消えないのは、単なる恐怖や危険の警告ではなく、人間の心を守るための物語だからだと思うんです。

これって、占いとか宗教とかに似ている気がします。

迷信も、占いも、宗教も、元をたどればすべて同じ。人は不確定な世界に怯え、意味を求める。科学が答えをくれる前から、物語は人を支えてきたんです。

人間の負の感情ってそれほど、怯える存在。そして、それに対する処方箋のパワーは計り知れないってことですよね。(笑)


まとめ

迷信は、先人たちの知恵であり、代々受け継がれてきた現代を生きる僕たちにユーモアとセンスで与えてくれた注意喚起のようなもの。

そして、それはただの知識だけではなく、不確定要素の多い社会を生きる僕たちの不安を取り除こうとしてくれる慣わしのようなものだったんです。

僕らはそれらを、盲信するでもなく、ただの迷信として軽視するでもなく、適度な距離感で、「あーそんなのあったのか。」とか「そういう考え方もあるよね。」ってぐらいの距離感でいるといいのかもしれないですね。

ぼくたちの日常会話のネタにでもなれば、それは先人にとって意図したことを果たしているのかもしれません。


ぼくもひとつ、迷信考えてみました。

「長男、長女、ツンデレ多し。」

…ただの偏見かもしれません。。

ではまたっ。

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